あの空の底で
その朝、海は燃えていた。夜の名残を引きずった群青に、橙と金がにじむように差し込み、雲がゆっくりと溶けていく。誰もいない海辺で、紗耶(さや)は靴を脱ぎ、波打ち際に立った。
ここへ来るのは十年ぶりだった。
地元を出て以来、一度も戻らなかった。何もかもが変わってしまったと思っていたが、潮の香りと頬を撫でる風だけは、昔のままだった。
高校の頃、毎朝ふたりでこの海辺を歩いた。
祐介(ゆうすけ)は朝が苦手だったが、
「おまえが来るなら仕方ない」と文句を言いながら付き合ってくれた。
彼は将来の話をしようとするたび、何かを言いかけてはやめ、いつも照れたように笑っていた。
「祐介って、言葉足りないよね」
「足りないくらいがちょうどいいんだよ」
「じゃあ私が、足りない分、感じ取る係か」
「……それ、結構、大変だな」
そう言って笑い合った、あの朝の空も、たしか今日と同じだった気がする。
卒業と同時にふたりは別々の道を選んだ。
紗耶は東京の美大へ、祐介は実家の漁業を継ぐ決意をしていた。互いの選択を尊重していたつもりだったけど、いつの間にか連絡は減り、疎遠になっていた。
——そしてある年、訃報が届いた。
「事故だったらしい」
そう、共通の友人から聞かされた。海の仕事中だったと聞いた。
すぐに駆けつけるべきだったのに、紗耶は展覧会の準備を理由に行けなかった。最後に来たLINEすら既読のままだった。
その日から、海の写真も空の色も見られなくなった。描けなくなった。
それでも今朝、不意に目が覚めて、体が勝手に動いた。駅からの道、草の匂い、遠くに聞こえる漁船のエンジン音。ひとつひとつが彼の記憶を呼び戻す。
浜辺に出ると、かすかに人影があった。小さな女の子が貝殻を拾っている。その後ろから、母親らしき女性が声をかけた。
「ほら、もう帰るよ。おじいちゃんの船、見に行くんでしょ?」
“おじいちゃん”。
その言葉に、紗耶の胸がつまる。彼のことを知らない人たちの時間が、もう始まっているのだ。
太陽が顔を出し、空の底があたたかくひらかれていく。群青に金が滲む空を見上げながら、紗耶は目を閉じた。
「あのとき、ちゃんと話を聞いていればよかった」
「ほんとは、何を言いかけてたの?」
「……聞きたいよ」
波音が静かに返事をくれる。誰にも言えなかったことを、空と海に預けるように紗耶はそっとつぶやいた。
風が髪を揺らし、まるで誰かに肩を抱かれたような気がした。あのときと同じ匂い、同じ光。
もう、大丈夫だ。
紗耶はそっと靴を履き、何かを置いていくように、ゆっくりと歩き出す。振り返らない。その先にある今日を、ようやく歩ける気がした。
空は、すっかり明るくなっていた。
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あの空の底で

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描く、という対話から始まる物語
RYOURANの模様は、すべて手描きで生まれます。
紙の上に筆を走らせる時間は、自然や記憶、心の中の風景と静かに向き合う時間。
こうして生まれた色と柄は、誰かの毎日にそっと寄り添い、心をあたためる存在になっていきます。
手で描くこと。それは人と布をつなぐ、静かな対話です。
模様に宿る文化を、暮らしの中へ
色や柄には、その土地の空気や人々の暮らしが織り込まれています。
RYOURANはテキスタイルを通して、顔の見える物語を届けたいと考えています。
ただの“商品”ではなく、誰かの感性や文化とつながる一着。
それを知ったとき、着ること、持つことへの意識が少しずつ変わり始めます。
やさしく、永く、大切にまとう
衣類を丁寧に扱うことは、地球へのやさしさでもあります。
必要なときだけ洗い、手入れをしながら長く着ること。
それは、水やエネルギーの消費を抑え、自然環境を守る小さな選択です。
服と向き合う時間が増えるほどに、暮らしもまた美しく整っていきます。