春庭の声
「どうして、この庭だけは毎年同じように咲くのかしら」
陽菜(ひな)は、腰をかがめて一輪の花に指を添えながらそう呟いた。庭は春の光を浴びて、まるで絵の中にいるようだった。黄色とピンクの花が、風に揺れるたびにやわらかな光をまとう。
大学を辞めてから半年。東京からこの山あいの祖母の家に戻ってきて、彼女はずっとこの庭を世話している。何も考えたくなかった。けれど、この庭は彼女の中の「なにもかも」をゆっくりと溶かしていった。
「陽菜、またこの子と話してるの?」
背後から、祖母の澄江(すみえ)が笑った。
「うん、話してる。この花にマリーって名前、つけたの」
「へえ、それはまた素敵な名前ね。元気そうだわ」
澄江は小さな缶に入れたクッキーを差し出す。縁側に腰掛けたふたりは、静かな午後の空気の中でそれを頬張った。蜜柑の香りが漂う温かい紅茶が、冷えた指をじんわりと温めていく。
「東京の暮らし、大変だったんだね」
「うん……。なんていうか……全部が速すぎて。私、何がしたいのかも分からなくなって
陽菜は視線を庭に落とした。花の色が混じり合い、水彩のように揺れている。
「でも、この庭にいるとね、不思議と呼吸が戻ってくるの。花って、どうして咲くだけで、こんなに優しいんだろう」
澄江はそっと笑って、ひとつ話を始めた。
「あんたのお母さんね、昔この庭でよく泣いてたの。高校生の頃。恋がうまくいかなかった時も、進路に悩んでた時も、ここに来て、何時間も座ってたのよ」
「……お母さんが?」
「そう。あなたのお母さんはね、ピンクの花が好きだった。ちょっと強がりだけど、心はとても繊細でね。でも、花を見てるときだけは、少し素直になってた。花って、人の心をほどくのよ。色や香り、手触りがね」
陽菜は黙ってうなずいた。母と自分は、やっぱりどこか似ていたのかもしれない。
その夜、陽菜はひとつの決心をした。
翌朝、まだ光が柔らかい時間に、古びた木箱を持って庭に出た。中には、数枚のスケッチブックと、水彩絵の具。
「……描いてみようかな」
咲き乱れる黄色とピンクの花々。それは、彼女の内側にある混じり合う不安と希望、涙と光だった。筆先に水を含ませると、紙の上ににじむ色がまるで心そのものだった。
日が傾きかけたころ、静かに近づいてきた澄江が陽菜の肩越しにそっと声をかける。
「……いい絵ね。風が通っているように見えるわ」
陽菜は手を止めた。目の奥がじんわり熱くなって、筆を握る指がかすかに震える。
「そう見えるかな……? 描いてると、なんだか胸がいっぱいになって……涙が出そうになるの」
「それでいいの。絵って、気持ちがこぼれるものだから。ちゃんと流してあげないと、心の中で濁ってしまうのよ」
陽菜は静かにうなずいた。庭に揺れる花々が、ふたりの間をそっとつなぐ。黄色とピンクが、まるで記憶と祈りをやわらかく溶かしていくようだった。
それから数週間後、陽菜は町のギャラリーに絵を数枚持ち込んだ。小さな展覧会だったが、絵に惹かれたという女性が声をかけてくれた。
「この絵、なんだか、私の幼い頃の庭を思い出します。母と一緒に歩いた記憶が、ふっと蘇って……」
陽菜は微笑んで応えた。
「私も……同じなんです。記憶と希望が、にじんだみたいな」
描くことは、言葉にならない感情を差し出すことだった。花のように、ただそこに咲くだけで、誰かの心をそっと揺らすもの。
春の庭は、今年も変わらず咲いている。
陽菜のスケッチブックには、あの日のマリーが何度も描かれていた。
黄色とピンクが重なり合い、まるで光が抱き合うように。
彼女の中に芽生えたものは、もう迷いではなく、確かな「芽」だった。
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描く、という対話から始まる物語
RYOURANの模様は、すべて手描きで生まれます。
紙の上に筆を走らせる時間は、自然や記憶、心の中の風景と静かに向き合う時間。
こうして生まれた色と柄は、誰かの毎日にそっと寄り添い、心をあたためる存在になっていきます。
手で描くこと。それは人と布をつなぐ、静かな対話です。
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